Castle-Building

英語好き、仏語もかじってます

Can You Survive Your Family?―Patrick Melroseに殴られた話

話題になっていますね… Edward St Aubyn の小説を原作にした Benedict Cumberbatch 主演ドラマ “Patrick Melrose”

 

 

 

気になるのだけど、日本ではまだ見られないと言うことで、原作小説をちょろっと読んでみました。その感想:

メンタルを殴られる。

…ぼこぼこです。読んだ後にひりひりと痛い。そもそも上の Teaser 動画の

“Can You Survive Your Family?” の一文からすごい。

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まだ5部作のうち、最初の Never MindBad News の途中までを読んだだけなのですが、これは生まれ育った環境に何かしらの葛藤を抱える人にはかなりきつい作品かもしれません。おもしろいけど。

うん、おもしろい。

少なくともNever Mind の時点ではろくな人間が登場しないし、その人物達への著者の視線もかなり辛辣なのだけど、抉るような洞察につい心を掴まれてしまいます。
どういうお話なのか、物語のほんの始まりだけですが、私なりにご紹介します。

 

Never Mind 冷酷な無頓着

‘Patrick Melrose’ 5部作の序章となる第1部、Never Mind の舞台は1960年代の南仏。主人公パトリックは英国の上流家庭出身の父親と裕福なアメリカ人の母親との間に生まれます。5歳にして父親の暴力が始まり、無邪気な子供時代は早くも終わりを告げてしまいます。
おそらくは英国の空気を吸って育った人でないと理解できないであろうものが色濃く反映されていますが、心理描写が巧みで、根っからの日本人の私でも飽きることはなさそう。(「もう降参」と言うことはあるかも。)皮肉の効いた諧謔は、暖かみよりは冷めた分析的な目線を感じさせます。

Never Mind の語りはいわゆる三人称多元視点 (third person omniscient) で、読者は様々な登場人物の視点や思考を経験することになります。メルローズ家で働く女性、パトリックの母エレノアと父デヴィッド、夫婦の友人たち、そしてパトリック。流れるように移動する視点や自由に人物の内面をのぞき込むような語りは、V. ウルフの流麗な語りを彷彿とさせます。中でも幼いパトリックの怖いもの知らずで自由な「ごっこ遊び」の世界と、初めて父親の暴力にさらされた彼がすがる逃避の世界がぞっとする対比をなしています。
ただ退廃的な空気が色濃く、中心人物の多くがPoshで自滅的。万人向けではないという印象です。

 

原文を交えて 

ところで、このブログの冒頭で「ヒリヒリする」と書きましたが、何がどうヒリヒリするのかと言うと、パトリックの父親デヴィッドの残酷さが意識的で的確すぎる…。そして何より、柔らかく溶けた蝋にするように、その父親の暴力が主人公の無防備で幼い魂に刻印されてしまう、その余りのたやすさがつらいです。

ここから、少しだけ原文からの引用と拙訳を交えて紹介したいと思います。
内容の筋や肝心な場面には触れないつもりですが、これから読むつもりだからネタバレは嫌だと言う方は避けてください。

 

まずは、パトリックの一人遊びのシーンから。勇者の剣を手に屋敷の周辺を冒険中のパトリックが、古井戸の縁に登ったところです。

... he felt dizzy, squatting on the ledge, with his back to the water. He stood up very slowly and as he straightened, he felt the invitation of the emptiness behind him, pulling him backwards.

 

水面を背に縁の出っ張りの上にしゃがみ込んでいると、くらくらとめまいがした。ゆっくりと立ち上がり背筋を伸ばしながら、パトリックは背後の虚ろな空間が誘いかけてくるのを感じた。後ろに吸い寄せられるようだった。

 

無邪気で自由なごっこ遊びの中に、暗い影がちらほら。パトリック自身の幼い残酷さが彼自身に向けられる前触れのよう。この危険な肝試しのあと、彼は初めて父親のあからさまな悪意にさらされ、恐怖から低木の茂みに身を隠します。そこで彼は冬に見た凍った水たまりと、その中に閉じ込められた空気の泡のことを思います。息を潜めるパトリックの頭上が、静かに氷に閉ざされる予感が間接的に語られます。

 

Nobody can find me here, he thought. And then he thought, what if nobody can find me here?

 

ここなら誰にも見つかりっこない、とパトリックは思った。そしてふと考えた。もし誰にも見つけてもらえなかったら?

 

アイロニーや毒のあるユーモアが特徴的な小説ですが、Never Mind で著者が用意した最大の皮肉は、父親デヴィッドの口からこの物語の(おそらくは)主題となる心理の問題が語られることではないでしょうか。友人を招いた夕食の席で、デヴィッドは暴君として知られるローマ帝国皇帝カリグラについて、熱を込めてこう語ります:

‘The interesting thing about Caligula,’ he went on patiently, ‘is that he intended to be a model emperor, and for the first few months of his reign he was praised for his magnanimity. But the compulsion to repeat what one has experienced is like gravity, and it takes special equipment to break away from it.’

 

「 カリグラの興味深いところは」とデヴィッドは辛抱強く続けた。「当初は規範的な皇帝を目指していたという点だ。即位からの数ヶ月はその寛大さが賞賛されていた。だが、自身の経験してきたことを繰り返そうとする衝動は、引力のようなものだ。特別な力を有していない限り抗えない」

 

自身の経験してきたことを繰り返そうとする衝動、その引力から逃れられなかったカリグラは、もちろんデヴィッド自身と重なります。そしてそれはパトリックにもデヴィッドが『教育』と称する形で伝えられていきます。

 

‘The proposition I want to make,’ said David, ‘is that education should be something of which a child can later say: if I survived that, I can survive anything.

 

 「私の提案しようとしているのは」とデヴィッドは言った。「教育とは子供が将来『あれを乗り越えたのだから、どんなことでも乗り越えられる』と言えるようなものであるべきだということだ」

 

…この最後の一文。「あれを乗り越えたのだから」と自分の家を振り返ったことのある人は、はじめにも述べましたが、この小説に惹かれるか、拒絶反応が出るかのどちらかではないかと思います。 

まだシリーズの出だしですが、読後感はひと言でいうとヒリヒリします。すごくヒリヒリします。続きを読むかどうか、私自身はいまは保留中です。

 

最後に Bad News から、青年になったパトリックを形容する一文を。

The face itself was in a spasm of contradiction.The full lips were pinched inward, the eyes reduced to narrow slits, the nose, which was permanently blocked, forced him to breathe through his open mouth and made him look rather imbecilic… 

 

顔立ち自体も矛盾の衝突だった。豊かな唇は内側に引き結ばれ、目は細く吊り上がりっている。常に鼻の通りが悪いせいで口を開けて呼吸するしかなく、それがやや愚鈍な印象を与え、さらに眉根に寄せた皺が鼻の上から額に垂直の溝を作っていた。

…和訳は自信ないけどこういう感じかな?口元と目の形容が、少しベネディクトさんを連想しますね。

 

Patrick Melrose

画像:Patrick Melrose | Is Benedict Cumberbatch's drama based on real life? Author Edward St Aubyn uses autobiographical detai - Radio Times