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英語好き、仏語もかじってます

合掌の挨拶について考えたこと

http://sherlockspeare.tumblr.com/post/172918100559/about-benedicts-greeting-in-korea

sherlockspeare.tumblr.com

 

私はベネディクト・カンバーバッチさんのファンとは言ってもにわかだし、海外文化の知識も深くありません。さらに言うと、俳優の作品中の演技以外の部分での活動にはさほど興味がありません。

でも今回ベネディクト・カンバーバッチさんが韓国を訪問した際に、合掌とお辞儀での挨拶を繰り返したことが騒ぎとなったのには韓国が日本の隣国で、日本と同じ「合掌の挨拶をしないアジアの国」であることもあって関心がわきました。(個人的には「合掌はしないでほしい」と言う声が上がっていたのなら、それが本人が傾倒している仏教式の挨拶であろうと避けるべきだったと思います。ただ、その声がどの程度本人に届いていたのかが不明な状態で、部外者があれこれ言うことは不毛でしょう。)

そして、何より興味をひかれたのは、韓国のファンが合掌とお辞儀での挨拶を『racial/ 差別的』と表現したことです。韓国は儒教の国。仏教は少数派なので、合掌をされても特に嬉しくないのは理解できます。でも、『差別的』と主張するその根拠は何なのでしょうか。

 

 

例えば、数年前の「coloured(有色の)」発言騒動を見てみましょう。このときはカンバーバッチさんが白人以外の俳優を指して用いた、「coloured(有色の)」という語が『差別的』だとして問題になり、すぐに謝罪がありました。当時のBBCの記事を読んだところ、どうやら英国ではold-fashioned(古臭い)なイメージはあっても、racial(人種差別的)な響きはうすく、本人には差別語だとの意識はなかったようです。

ところが同じ語がアメリカでは著しく差別的な言葉と見なされています。Jim Crow法時代の人種隔絶政策において、100年近くも黒人を指す言葉として用いられた歴史があるためです。白人以外すべてをcoloredとひとくくりに表現することから、白人であることが「普通」だという負の含意を指摘する人もいます。こうした歴史的背景のある語だったからこそ、本人に差別的意図がなかったにもかかわらず(実際、白人以外にももっと機会が開かれるべきだという、人種的平等を話題にしていたときの発言だった)、多くの人にとってショッキングであり、謝罪に繋がったのでしょう。(Butterly, “Warning: Why using the term 'coloured' is offensive”)

 

では、今回の「合掌」はどうでしょうか。合掌はアジアの一部では日常の挨拶に取り入れられています。私は詳しくはないのですが、調べてみたところ、ラオス、タイ、カンボジアなどで用いられるようです。これを繰り返したことを差別的ととらえた理由について、韓国のファンの方の主張をまとめてみると、

1)アジアの多様性を無視する行為であり、

2)宗教性のある挨拶である

ことが問題のようです。

 

1)が主要な問題であり、『差別的』であるとする根拠なのだとすると、その差別の対象はひとくくりにされたアジア全体だと考えられます。しかし、他のアジアの国から「私の国では合掌の挨拶の習慣はないが、差別的とは思わない」との声に対しては、「韓国人でない人には分からない」という内容の物でした。韓国人でない人は口出しをしないでと言われてしまっては、議論になりません。colouredという語が人種隔絶政策に使われていた歴史的背景があったのに対し、誰に対して優劣をつけようとする行為であるのかさえ説明できない合掌に、『差別的』というレッテルを貼ることには無理があるように思えます。アジアという大枠でひとくくりにされ、韓国人というアイデンティティを軽視されたことへの反感や、メディアに作られた虚構のアジアのイメージを押し付けられることへの拒絶ということならば理解できますが、『racial/ 差別』という語は強すぎる気がします。また、2)に関しては、信仰していない宗教の挨拶をすることは、相手に不快や侮辱を与えかねません。普通は避けるべき行為でしょうが、差別とはまた別のものでしょう。

そういうわけで長々と書いてみたところ、今回の騒動は『差別』というよりは、韓国人というアイデンティティを軽視され、一方的なアジアのイメージを押し付けられたことへの反感に尽きるのではないかと言う気がします。

(さらに言うのなら、ずっと親しみをもって動向を見守っていた俳優から、アジア人であることで特別扱いされたことは、やはりそれなりに悲しかっただろうと思います。書きながら思い出しましたが、海外に住んでいた時に、白人のクラスメイトが私にだけ合掌とお辞儀の挨拶をしていたことがあります。「日本では合掌はしない」といっても、彼は私を見るとにこにこと手を合わせ続けました。日本文化に興味があり、尊重しようとしてくれていることは分かっても、そのお辞儀と合掌に、私だけがその場で部外者(アジア人)であると念を押されているように感じることもありました。)

 

しかし、こうして今回声があがったのは意義あることと言えるかもしれません。『racial/ 差別』という強すぎる言葉が使われたことは残念で悲しく思いますが、異文化圏においてその文化を尊重することも敬意なら、正しい知識を伝えて間違いを指摘することも誠意だからです。日本では合掌をする欧米人に対して、その場のノリで合掌を返す人さえいます。それが悪いことだとは言いませんが、誠意ある態度だとは思いません。オリンピック招致のパフォーマンスで世界に向けて行うなんてもってのほかだと思います。ステレオタイプにおもねってどうするのでしょう。たとえ今回の韓国の騒動が、アジアというステレオタイプに対する拒絶反応だったとしても、結構なことじゃないかと思います。欧米のメディアが作り上げた、現実からは程遠い幻のアジアのイメージに、もううんざりだとアジアが声を上げてもいいのではないでしょうか。

 

参照記事

Butterly, Amelia. “Warning: Why using the term 'coloured' is offensive” Newsbeat. BBC, 27 Jan. 2015. http://www.bbc.co.uk/newsbeat/article/30999175/warning-why-using-the-term-coloured-is-offensive 17 Apr. 2018